フェミニン・コンプレックス『TO BE IN LOVE』 解説対訳 抜粋

60年代後半は、ナッシュビルの音楽にとって活気のある時代だった。多くの
音楽の様式がここで作られているということを否定する者はいない。WLAC
(訳注:ナッシュビルのラジオ放送局)のディスクジョッキー、ホス・アレン
とジョン・リックバーグは、南部の優れたソウル・シンガー達と仕事をし、ハ
リウッド&デラックス・レコードでイール・ゲインズやロスコー・シェルトン
のプロデュースを行い、モニュメント・サウンド・ステージ・セブンへ数え切
れないほどの実績を残した。ロバート・ナイトは、マック・ゲイデンとバズ・
カズンの「エヴァーラスティング・ラヴ」を国内チャートにヒットさせた。地
方の若者の間では、バッキー・ウィルキン自身のグループであるロニー・アン
ド・ザ・デイトナスの曲が数曲ヒットした。一方、シティ・ジャズ・コンボ全
盛期のチャーリー・マッコイ・アンド・ザ・エスコーツ、ザ・ケイパーズ、
ザ・レモネード・シャレイド、ザ・アングロ・サクソンズ、ザ・フェアレイン
ズなど、彼らは地方の劇場、ダンス・ホール、パーティー、基地周辺、スケー
トリンク、ハラバルー・クラブのようなティーン向けの盛り場などで仕事を得
ていた。

そうした状況下、60年代ヒット・ポップス史のすぐれた形跡を残したフェ
ミニン・コンプレックスがナッシュビルを活動の場としたことは当然のこと
だった。フェミニン・コンプレックスは、全員が女の子だからということでな
く、すぐれたバンドとして語り継がれていることをあなたはご承知だろう。そ
の特異かつ非凡な才能が評価されたのだった。また、少年達は、この5人の才
能に全く打ちのめされてしまったのだ。

ミンディ・ダルトン、ジュディ・グリフィン、ラナ・ナピアー、ペイム・ス
テファン、ジーン・ウィリアムスの五人は、学校以外に、ミンディやジーンの
家の地下室で数え切れないほどの練習を持参の楽器で繰り返し、それは十二分
なものだった。フェミニン・コンプレックスのライヴ・ショーは、お決まりの
振り付けと流行のお揃いの衣装といった特徴で注目されたのではなかったよう
に思う。当時の多くのバンドが流行のヒット・ソング仕立ての演奏をしていた
中で、フェミン・コンプレックスはオリジナルの素晴らしい楽曲を演奏してい
た。