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 ◆プロ・ライター、また多方面で活躍されている野田誠司氏のコーナー◆
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フォーク・クルセダーズ『紀元弐阡年』TOCT-25162 価格:各¥2,300(tax in)

田家秀樹氏:監修「東芝EMI必聴名盤シリーズ」のひとつとして、紙ジャケ
ットでの復刻盤。

以下は、それ前回の再発(2000/12/06)20世紀名盤シリーズ
『紀元弐阡年』 ザ・フォーク・クルセダーズ TOCT-10749 ¥2,000(Tax in)
でリリースされた際の僕が書いたライナー・ノーツです。本名でなくペンネー
ムで書いたものです。

 1965年結成時5人だったフォーク・クルセダーズは、1967年に『ハ
レンチ』という自主制作盤をリリースしており、そのときのメンバーが加藤和
彦,北山修,平沼義男の3人で『ハレンチ』に収録されていた「帰ってきたヨ
ッパライ」が深夜放送で評判となる。自主制作盤『ハレンチ』は、解散記念と
して作ったのだったが、「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットにより、平沼に
代わり、端田宣彦を加えた加藤和彦、北山修の3人のフォーク・クルセダーズ
として1年という期限付きで再結成。そして、メジャー・デビューとなったの
がこの『紀元弐阡年』というアルバムだった。「帰ってきたヨッラパイ」に次
ぐ第2弾シングル予定だった「イムジン河」は政治的理由で発売禁止となり、
その反動で加藤和彦が書いた曲が、『紀元弐阡年』に収録されている「悲しく
てやりきれない」で、この曲は「イムジン河」のメロディを逆に書き直したも
のだった。が、後にフォーク・クルセダーズの名曲としてカヴァーされること
になる。おおたか静流、最近では、声優の鈴木 真仁(すずき・まさみ)がカ
ヴァーしている。

 当時のフォーク・フリークでない一般リスナーにとっては『紀元弐阡年』が
フォーク・クルセダーズの唯一のオリジナル・スタジオレコーディングとなる
わけだが、ラジオ、TVへの出演が非常に多かったせいか、本当に1年間の活
動に過ぎなかったというのが嘘みたいなほど、その名を全国に広めてしまった。
有名というばかりか社会現象に近いものがあった。いわゆるプロテスト・ソン
グ的なフォークとは視点の違った価値観を持ち、かといってカレッジ・フォー
クと呼ばれたメロディ重視のフォーク・ソングからも大きく外れた存在だった。
この『紀元弐阡年』の中には、「帰ってきたヨッパライ」のように意表を突い
たレコーディング方法ばかりでなく、当時のロックの手法が多分に組み込まれ
ているのだ。きっと、後の多くのリスナーは、フォーク・クルセダーズをその
名から、60年代の他の日本のフォークと同一と評価してしまったのかもしれ
ないが、この『紀元弐阡年』でのフォーク・クルセダーズは、当時の日本のポ
ピュラー・ミュージックの最先端に位置していたと言ってかまわないと思う。
 加藤和彦というメロディー・メーカー、北山修という直感的な詩人がいたか
らこそ成立した、後にも先にも存在しない希有なトリオだったと思うのだ。

 「水虫の唄」は、当時のオールナイト・ニッポンの名パーソナリティー・コ
ンビ、カメ&アンコーがカヴァーしてシングル・リリース。(カメこと亀渕昭
信氏は、現:ニッポン放送の代表取締役社長)また、フォーク・クルセダーズ
自身もザ・ズートルビと別名で同曲をシングル・リリースした。「ドラキュラ
の恋」は、まるで当時の英国ガレージ・バンド風。「オーブル街」は、サディ
スティック・ミカ・バンド以降の加藤和彦のソロ作品を思わせる楽曲で、ヨー
ロッパ風な都会的センスをここですでに披露しているのは驚きだ。また、アル
バム最後の曲「何のために」は、解散後、シューベルツを結成する端田宣彦の
作曲でフォーク・クルセダーズというよりは、はしだのりひこ&シューベルツ
を思わせる美しい曲。

 解散後の3人は、加藤和彦は、ソロ、サディスティック・ミカ・バンドを繰
り返し、楽曲の提供なども多く絶え間なく活動。端田宣彦もシューベルツ、ク
ライマックス、エンドレス、ソロ、現在は関西方面を中心に活動。北山修は、
詞の提供、著作活動、1991年から九州大学の教授に就任し、なにかあれば
歌うこともあるようだ。

野田誠司 ホームページ http://rockjazz.com/noda/ 
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